ゆるっとTidy

何度でも書き直すタイプ

そもそもパン・シヒョク氏って

私はいつも、彼のことをパンPDもしくはパンさんなどと近所のおじさん親戚のおじさん感覚で呼んでいる。失礼であることこの上ないわけだが、この人のことを私は割と知らない。そんな人って少なからず居るんじゃないかと思っている。私の愛する防弾少年団はこの人の手によって生まれた。ので、防弾のことを整理整頓するには大前提としてこの人のことを知るべきなのではという当たり前の発想に至ったのだ。その発想にたどり着くまでに何年も掛かってしまった。反省はしている。

 

パン・シヒョク氏

시혁

1972年8月9日生まれ。ソウル特別市出身、ソウル大学卒業。

ソウル大学は韓国の最高学府(って呼んで差し支えないよね?)。イギリスの大学評価機関クアクアレリ・シモンズによる調査では最新2023年のランキングで世界29位とのこと。いまいちピンとこないので日本の大学名で調べてみれば東京大学が23位、京都大学が36位。ソウル大、間違いなくとてもレベルの高い大学である。そしてその学校を次席で卒業したのが、ご存知パン・シヒョク氏。

 

すっごい頭良いじゃん……

 

両親からの勧めで音楽の道へ進んだそうだけれど、そのご両親がまず凄いのではないだろうか。音楽を仕事にするのは決して手堅い生き方ではない。実際、ソウル大出身者は政府機関での研究職や医者、大学教授などの道を目指す人が多いのだそうだ。しかしパン・シヒョク氏は、音楽を選んだ。在学中に参加した音楽コンテストで銅賞を受賞。かの有名な(餅ゴリこと)パク・ジニョン氏のスカウトを受け、彼の設立したJYPエンターテインメントにPDとして入所(共同創業者であるとする記事もある)。ここでA&Rやマネジメントなど会社運営に関するノウハウを身につけながら多くの楽曲を手がけ、『god(ジーオーディ-)』という男性5人組グループのプロデュースで成功を収めたそうだ。

 

god(ジーオーディー)

99年にSidusHQ(現iHQ)よりデビュー、2004年にJYP移籍。2014年にiHQ所属で再始動し、現在もグループ活動が続いているK-POP第1世代を代表する存在。それぞれ歌手、俳優、バラエティ番組等でも活躍中。

キム・テウ ユン・ゲサン パク・ジュニョン ソン・ホヨン デニー・アン

 

こちらはリーダーのパク・ジュニョンさんによる防弾モッパンツアー。ソクジンのお兄さんが経営する「押忍!せいろ蒸し」にも訪問し、お兄さんご本人(サムネ左)と対面している。

 

彼らがJYP時代にリリースしたアルバムのクレジットにはパン・シヒョクの名、そしてこの後長く使われることになる「"Hitman" Bang」の名が見られる。この"Hitman"は、godというグループの成功があったからこその名、だそうだ。

 

 

 

2005年、パン・シヒョク氏はJYPエンターテインメントから独立。その理由としてはパク・ジニョン氏が語った「靴下事件」が知られている。

 

※靴下事件…アメリカでの共同生活中、パク・ジニョン氏が靴下を裏返したまま洗濯機に入れたことで洗濯担当のパン・シヒョク氏と口論になったという出来事。あーなんか似たようなケンカ知ってるよね「クオズの餃子事件」とかさ。

 

こうして2005年に設立されたBig Hit Entertainment。このビッヒの第1号アーティストは「K.Will(ケイウィル)」(一次情報にたどり着けていないので「どうやら~らしい」という言葉を前後に添えて)というアーティスト。

 

 

この「左側の胸(왼쪽 가슴)」という楽曲はパン・シヒョク氏がPDを、パク・ジニョン氏が作詞作曲を担当したもの。彼は現在、STARSHIPの所属。BHとの関わりがいつ頃まで続いていたのか、定かではない。

 

2007年にデビューしたのは、現役BHアーティストのイ・ヒョン氏が所属していた「8eight(エイト)」。

ペク・チャン  ジュヒ  イ・ヒョン

 

 

所属”していた”という過去形で表記はしたけれど、彼らは2021年、6年ぶりに再始動している。個々の活動を行いつつグループとしても継続、という感じなのかもしれない。イ・ヒョン氏は自身のYoutubeチャンネルでも防弾のマネージャー体験だったりソンドゥク先生指導によるダンスレッスンを受けたり楽曲カバーだったり、弟愛に溢れた内容を発信してくださっている。ありがたや。

 

2010年には、その2年前にデビューしている「2AM」の、JYPとの共同経営契約を締結。この繋がりをきっかけとして、2AMと防弾の長い交流が始まる。

ジヌン チョグォン チャンミン スロン

 

①MV出演 ソクジン、ユンギ、ホソク、テヒョン、ジョングク

 

②番組出演 ホソク、ジョングク

 

③feat.として参加 ホソク

 

④アドバイスを受ける練習生時代の防弾

 

⑤交流の続くチョグォン氏とホソク

22.10.26 チョグォンInstagramより

 

メンバーの事務所移籍に伴い、2014年以降は個人の活動が続いていた2AM。2021年、7年ぶりに完全体でカムバックしたが、そのアルバムにはパン・シヒョク氏とパク・ジニョン氏の両名が参加している。

 

パン・シヒョク氏 作詞・作曲「近くにいて知らなかった」

 

所属を離れてからも、こうして楽曲の制作を通じて関わり合いが続いていくのは素晴らしいことなんじゃないだろうか。アーティストとして、制作者として、互いに良い関係を築いていたのだろう。

 

そんな、今も活躍を続ける2AMとの契約が結ばれた2010年。防弾の最初の欠片であり核となるあの人が、パン・シヒョク氏と出会う。出会ってしまう。このストーリーはあまりにも有名すぎていちいち記録することもなかろうかと思いつつ、やはりここから防弾が始まったのだから省くわけにはいかない。ので、記す。

 

「Untouchable」という韓国のHIPHOPデュオ。メンバーであるSleepy氏は、アンダーグラウンドクルーのオーディション会場にいた。そこで出会ったのが、当時中学3年生だったキム・ナムジュン。のちのRap Monster/RMである。

D.Action Sleepy

ナムジュンのラップを聴き感銘を受けたSleepy氏が知人の音楽プロデューサーであるPdogg氏に連絡。Pdogg氏を通じて紹介を受けたナムジュンは、BHへ入所することとなった。

余談ではあるが、Sleepy氏は後に『ジャングルの法則』というサバイバルバラティー番組でソクジンと共演し、仲を深めることになる。

 

Pdogg氏

Pdogg氏は言わずと知れた防弾の楽曲プロデューサー。彼はパン・シヒョク氏が運営していたオンラインコミュニティに楽曲を投稿していたという縁からBH所属のプロデューサーとなった

 

LYS(DNA)カムバ時の特番にて、それぞれのメンバーが事務所に入るまでの経緯を再現ドラマのように見せてくれたことがあった。その時のパン・シヒョク氏は「仕方なく引き取ってやったんだ」ぐらいなことを言っていたが、一発でナムジュンの最高に惚れ込んだのは間違いないだろう。私はナムジュンの知人でもなけりゃパン・シヒョク氏の家族でもないが、その点だけは自信を持って言える。多分みんなそうでしょ。

 

ナムジュンに出会ったパン・シヒョク氏はその後もなんやかんやあるのだが(雑)、現在はHYBEへと名を変えた社の取締役会長であり、BIGHIT MUSICというレーベルの代表であり、今も精力的に楽曲制作に携わり、K-POP界の将来について思いを巡らせ様々な行動を起こしている。この人に対してどのような印象を持つかは立場によって(具体的に言うと誰を推してるかによって)異なるだろうが、凄いひとであることは間違いないのだ。弱小も弱小、くしゃみで吹き飛ぶような激弱事務所だったBHを、SM、YG、JYPという3大事務所と肩を並べるまでに成長させた。

このところ買収関連でK-POP界隈をざわつかせているが、彼が言いたいのは「このまんまだとK-POPは衰退するよ」「エンタメに他業種が口つっこむようになったらおしまいだよ」「事務所同士が連携して協力しないといかんよ」的なことのような気がしている。知らんけど。

 

ナムジュンが入所したBH。本来であれば2011年中にデビューする予定だった防弾少年団。そのデビューは、約2年後の2013年6月13日までずれ込むこととなる。